【エッセイ第25回】

さとまんさん

「障害をもつ子の母としての人生」

さとまんと申します。私は、パソコンとは殆ど無縁の生活をしており、カラオケも70's・80's歌謡曲をこよなく愛すアナログ人間です。

「コウハンセイ発達障害ですね。」

下の子の障害を診断されたのは、2年半前の4月。「広汎性」という字を書くと知ったのは、それから数日後。”発達障害”というだけで、完全にノックアウトだった。勿論、子どもが不憫であったが、私自身、つまらない世間体を気にして泣いた。いつまでも泣けた…。

程なくして、グレーに白黒決着をつけるため、上の子(兄)も受診。結果は、黒。検査結果をみて医師が開口一番、「そんなに悪くないじゃない。」とは知能指数のこと。それゆえ、面倒くさいこともあるのだけれど…。この二人の子を授かったばっかりに、私に与えられた障害をもつ子の母としての人生

その意味は、何?

上の子の、歯がゆい友人関係と学校生活に心を痛め、家では、下の子の想像を絶する破壊癖の後始末に追われる。気晴らしにどこかへ連れ出せば、上の子は「早く帰ろう。」と早々にしゃがみこみ、下の子は、何がおもしろいのか、延々と高い所を行ったり来たり。間違って一緒に買物になんて行った日にゃ〜スーパーの中で鬼ごっこ。とにかく動く、動く、下の子が…。

こんなに辛い子育てを強いられる意味は、何?

私は、普通の子育てがしたかった!一緒に笑ったり、泣いたり、感動したり。ただそれだけで良かったのに…。

連日繰り返される試練の意味を見出せない閉塞感。母親としての劣等感。そんな息のつまる状態から、なんとか抜け出そうと、藁をも掴む思いで叩いた、新潟市自閉症親の会の門。

恐る恐るくぐると、そこにはなんと、どっかり腰をすえて、我が子を受け止めている元気な母たちがいた。そこに達するまでには、きっと悩み、傷つき、苦しんだ時期もあっただろうと思われるが…、そんなことは遠い昔?なんせ彼女たちは、とっても個性豊かで、優秀で、たくましく、そして楽しい。

目指せ、”鋼の母”なり。『障害をもつ子の母としての人生』しかも、一生…。

どうせなら、なんで私が…と嘆いて過ごすより、意味を見つけて歩きたい。苦しかったけど、そう悪くもなかった、と、最期の最期に、しっかり思えるように。

それでは、私の些細な日常のエピソードを一つ。

上の子にうつされた風邪で寝込んでいた、ある日の午後。「E子が外へ出で行った。」と、お兄ちゃんの声。「なにっ!?」反射的にガバッと起き出す私。車庫の通用口が開いている。「しまった!鍵をかけ忘れた。」寝乱れた髪もそのままに、サイフを持って走り出す。行き先は分っている。100m先のコンビニだ。ダッシュで店にかけ込み、お菓子コーナーに直行する。

ホラね。やっぱりここに居た。

ガ・ガーーーーーン。全裸に長靴だけの彼女!!

あられもない姿で、お菓子を眺めてニヤニヤしていた。お店のお姉さん達が、クスクス笑っている。無理もない。(フツーありえないってか)とりあえず、お気に入りのチョコを一つ買って、平謝りで店を出た。

(さて、どうやって帰ろう。…もなにも、歩いて帰るしかない)

髪をふり乱し、思いっきり疲れた女が、全裸に長靴の女の子の手首をしっかり掴んで、ズンズン歩く。この姿は、行き交う人々の目にどのように映ったであろうか?さすがに恥かしくなって、苦肉の策でおんぶしてみた。でも、お尻丸見え。あ〜ん…女の子なのにぃー。

障害児の母の道のりは、永く、険しい…。でも、人生最後に笑うのは、私だと思っている。



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