【エッセイ第26回】

野比玉子さん

「夢と現実」

私の名前は野比玉子。苗字からほとんどの方はピンとくるでしょう。のび太君のお母さんです。息子は『ドラえもん』が大好きです。以前、テレビを見ながら「○○君(クラスメート)はジャイアンみたい」と言っていたので「のび太君は?」と私が聞いたらすかさず息子は「ぼく!」と言い切ったのでした。ハンドルを考えてと言われた時にはすぐ、のび太君のお母さんの名前をつけようと思いまして、このハンドルにしました。

ところで、私には小さい時から密かに抱いていた夢がありました。それは、3人の女の子のお母さんになり、一緒にお菓子を作ったり、ピアノを弾いたり、”いつも笑顔の優しいお母さん”になることでした。結婚が決まったとき、友人に「お祝い何が欲しい?」と聞かれレースのエプロンをリクエストしました。そう、娘とやる予定だったお菓子作りに備えて。

しかし、生まれてきたのは、なんと男の子だったのです。「えっ、男の子!」男の子を育てるなんて、全く想像していなかったのですが、やはり自分の産んだ子は可愛いものです。今まで、こんなに大切に思える人間に出会ったことはない。(夫には申し訳ないが…)大事に、大事に、育てました。

しかし、今思えば、1ヶ月健診ですでに「この子はちょっと?」という気配はありました。隣のベッドの赤ちゃんと随分違うんですもの。隣の赤ちゃんは、お母さんをジーッと見つめ、あやすと元気に手足を動かしニコニコしてるんです。我が子はというと、私をチラッと見はしましたが、すぐ目をそらす、すぐ寝る、体がデレーっとしている。「何だろう?私とじゃ退屈なのかな?」「まぁ、隣の子は女の子だもん!」「脳の作りが違うんだから、違って当然」と自分に言い聞かせました。

3,4ヵ月ごろ、○○学級の保育士さんに「表情が乏しい。もっと声をかけたら?」と言われ、ショックで泣きました。7,8ヶ月くらいで人並み外れた人見知りが始まった時は、その保育士さんに「これでいいのよ!」と自信満々に言われて「この人見知りが普通?本当?」首をかしげながらも「これでいい、これが普通」と、よからぬ事は考えないようにしていました。

ひらがな50音は、3歳前に1日で覚え、正直なところ、この時「この子は天才かもしれない!」と思ったこともありました。一応しゃべるし、身のまわりのこともしないわけではない。話が通じないわけでもない。でも…やっぱり…何かが…何かが足りない、と思いながらの4年間を過ごしました。

4月生まれなので、満4歳で幼稚園に入園させたのですが、半年ほどで登園拒否になりました。それがきっかけで『はまぐみ』を受診し、はっきりした診断はつかなかったのですが、療育がスタートしました。もし登園拒否がなければ、今でも変わった子を何とか普通の子にしようと躍起になっていたと思います。

ところで私の夢だったお菓子作りはどうなったかというと、何度か実現させようと試みました、が、バラ撒かれた小麦粉の掃除に変わり、シンク周辺は水浸し。「大掃除しなくて済んだわ」と思えればよかったのでしょうが、その頃の私には、そんな余裕はありませんでした。もう少し、息子の興味のあることに付き合ってあげればよかったなと反省しています。

その頃、私はいつも「神様、仏様、息子がいつかフツーの子になりますように…」と毎日、毎日、お祈りしていたものでした。

月日が経つのは早いもので息子も9歳、小学3年生になりました。今年は冷夏でしたが、9月に入って37度を越す今年一番の暑さになったかと思えば数日後には10月中旬の気温になったり、おかしな天気でした。9月なのに急に寒くなったある日、いつものように半袖・短パンを着た息子は、震えながら「10月から長袖着る」と断言していました。確かに息子は頑丈です。タフです。しかし、いくら寒くても薄着でいるのにはワケがあるのです。

「変わる」「変える」事が難しいのです。

そういえば年長のときは、3月下旬のぽかぽか陽気でも、スキーウェアを着ていたっけ。1年生のときは、雨の日でも傘を持って行けなかったっけ。2年生のときは、11月の、それも熱があるにもかかわらず、薄いTシャツ一枚に短パンで過ごしていたっけ。

しかし、さすがに息子もその日は迷っていました。「寒いから長袖にする」と言って長袖を着たかと思えば「やっぱり9月だから半袖に」とまた着替えたり、散々迷った挙句、彼のとった行動は、窓の外を眺め、通り過ぎる生徒を見て決めようとしたのです。たまたま通り過ぎた子が長袖を着ていたので「やっぱ長袖にする」と言って、またまた着替え、元気に登校して行きました。

今も連日「今日暑い?寒い?」と聞いてきますが、適当に半袖+長ズボン、長袖+短パン、長袖+長ズボンとその日のよって組み合わせを考えているようです。すごい進歩です。
いろいろなことがあってハラハラ、ドキドキ、泣いたり笑ったりの連続ですが、「何とかフツーの子に」という願いは、いつしか「息子の素直な心と、笑顔が続きますように」と変わってきたのでした。



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