【エッセイ第28回】

こでまりさん

「可愛い我が子」

季節の移りかわりも早いもので、もう秋本番ですね。私のハンドルはこでまり。私の一番好きな花の名前です。春の暖かな季節に咲く、質素な花です。私の性格に良く似た、質素で目立たない、おとなしそうな花。皆さんの中にもお好きな方、いらっしゃいますか?

我が家には、二人のアスペルガー障害の子がおります。二人とも同じ障害ですが、経過も適応状況も大分違います。長男を支え、育てる事は、私にはとても大変で、大きな試練の連続でした。長男が診断されたのは、小学5年の春でした。

長男は、それまでに2度、不適応を経験しています。1度目は保育所時代、2度目は小学3年の時でした。何が嫌だったのか、年少の冬頃から行き渋るようになりました。当時の私には、”心も行動も、年齢相応に育っていない幼い子”と映っていました。それは、先生方にも同様でした。私も先生も障害に気づくことはおろか、あの子の心の中を見ることさえ怠っていました。そして、叱咤激励の毎日の中で、あの子はとうとう、疲れてしまったのでしょう。保育所に行けなくなってしまいました。

長く休んだ後、半日ずつ、一緒に通いました。保育所からの帰り道、いつも私の前を無邪気に歩いていました。買ってあげたばかりの青いコートが、とっても良く似合っていました。そのコートを着て、前を歩くあの子の肩が、とても小さく見えて何故か、可哀想でなりませんでした。その時の後ろ姿は、今でもしっかり私の脳裏に焼き付いています。

年長になったある日、あの子は言いました。「ママ、僕は家を出て行く…。保育所には行きたくない。」その一言で私は決心しました。この子を守ってあげなければと…。幼いながらも、ギリギリの選択をしなければならなかった、あの子の気持ちを思うと、今でも胸が傷みます。

不登園の1年間、色々な事がありました。それでも、不思議なものです。春が近づくにつれて、雪解けのように凍り付いていた心が、少しずつ融けていくように感じられました。そして桜が咲く頃、小学校のたんぽぽ学級に入学しました。

1年生の時は、色々とすったもんだを繰り返しました。不安感が強い子で、行事の度に、「こわい。どうするの?何をするの?」といつも言いました。運動会は、途中で「帰る!」と言って逃げ出す。何かの行事には、いつも付き添わないと参加できない。それでも2年生になってからは、随分と順調になりました。行事にも、不安感もなく参加できました。学校生活も楽しそうで、明るく朗らかでした。交流学級にも慣れ、どんどんみんなと活動できるようになっていました。「もう、大丈夫だね。3年には、もっと交流に出した方がいいね。」と先生方も、私たちをあおっていました。そして、あの子は3年生になり、夏休み前にするはずだった保護者面談も、「順調ですから、特に問題ないですね。休み明けでもいいですか?」と言われるほどでした。

ところが、夏休みの終わりが近づくにつれて、様子が変わってきました。ちょっとした言葉で、すぐ大げさに泣く、怒る。「喉に何か詰まっていて食べられない。」「ママが歯磨きした時に、髪の毛が入って詰まってるんだ。」と変な事を言う。食事も食べられない。倦怠感も強くて、グターッとしている。夜も眠れない。眠れない事を怖がってパニックになる。案の定、2学期最初の登校日の朝、玄関から動けませんでした。「怖くて行かれない。」と言って…。それから不登校です。

しばらくは荒れていて、大変な毎日でした。この子との一日は地獄のようでした。夕方には疲れ果てて、立てないほどにクタクタ。私も眠れぬ夜が何日も続き、頭はふらふら、体もふらふら、肩も、腕も、足も、全身の筋肉が硬直しているようで、起きていられない。さりとて、休んでいる時間もない。休ませてもくれない。あの子の情緒の不安定さに振り回されて、このままでは親子共々まいってしまう。頼れるところはあそこしかないと、思い立つままに、以前かかった病院を受診しました。

行き詰まった毎日から抜け出すために、週に1度の治療(プレイセラピイ)は、あの子にとって必要な、貴重な時間だったと思います。それに、あの子が家以外に行ける場所は限られていました。病院とスーパーくらいだったでしょうか。現在もまだ通院中です。

我ながら、よく通ったものだと感心しています。通う所があって、私も子供も救われました。辛い時を支えてもらいました。治療のお蔭で、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。ここ最近では、回復の兆しはこの私でも確実に感じられています。全く学校に行けなかった2年間を一緒に過ごしたことで、やっとあの子の事を分かってやることが出来ました。心の繊細さ、弱さ、不登校によってさらに失ってしまった自信、心に残された傷の大きさ。そして、アスペルガー障害という診断を受ける事で、やっと理解出来たと思います。

あの子にとって、これまで困難だった数々の問題が、実は障害から引き起こされていたのだろうと、やっと、結びついた事。障害の持つ特性と、障害に見合った対応が必要な事など…でも、できる事ならもっと早く気付いてあげたかったと思います。分かっていたなら、もっと注意深く見てあげられたと思うし、無理もさせずに済んだと思うと、少し悔やまれます。

しかし、過ぎた事をいつまでも悔やんでばかりもいられません。これからの道のりの方が、ずーっと長いのだから…そしてこれからは、この子の成長に合わせて育てていきたいと思います。そして、この子自身も自らの障害を受け入れて、自らに見合った生き方を、見つけて生きていける人に育って欲しいと願っています。

この子には、話しました。

普通で、障害もなくて、不登校にもならずに育ってきた人より、本当はあんたの方が、ずっと強いんだよ。あんたは今、短い時間でも学校も行けるようになった。それは、本当は、すごく大変なことなんだから。何も無い人よりずっと苦労してきたし、ちゃんと乗り越えて来た。ずっと偉いし、強いんだよ。

最後に、 ここまでこうして立ち直れた事は、多くの方にお世話になり、支えていただいたお蔭だと感謝しております。そして、まだまだ未熟な私たちに、そのお力をこれからもお貸し下さい。いつかはきっと、その御恩を何らかの形でお返ししたいと思っております。



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