【エッセイ第35回】

タロウハムさん

「三人の男達」

私たち人間は、人生の中で多くの人と日々出会い、毎日を送っている。その出会いの中には、忘れる事の出来ぬ人、またすれ違っただけの人、度合いは様々である。そんな中で、ある二人の男と一人の子どもに出会った。彼らに出会った時の事を、ここで話してみようと思う。


第一の男 レオ

レオは私の同級生 山田 の友人なのだが、ちょっと風変わりな人物だった。レオにとって山田は、唯一の友人のようであった。私は、レオに友人が少ないのは、その風変わりな雰囲気のせいだ、と思っていた。

ある日、二人が廊下で話をしているのを見かけた私は、立ち止まり、話しかけた。私と山田は、「おっ」という程度の挨拶をしたのだが、レオはこちらを見ようとはしない。レオは、山田が話をすると答えを返すのだが、私が話をしても全く反応しない。それどころか、私が話をしていても、レオは私を無視し、自分の話を始める。レオの話し方は独特で、体も顔も、私や山田に向けることなく、どこかを向き、呪文を唱えるように話す。山田には聞き取れるようだったが、私には聞き取れなかった。それでもまた、私は二人に話しかけるのだが、話が終わらないうちに、またレオは呪文を唱え始めるのであった。「レオ君、聞いているのか?」と私が聞いても答えず、その呪文は全く乱れることはなかった。「こいつは俺をバカにしている。」そう思った私はそこから離れ、以後、レオに話しかける事はなかった。

数年後、映画『レインマン』を見たとき驚いた。そこには、レオそっくりの主人公が映っていた。


第二の男 ハンス

面接に来た彼は、挨拶もいまひとつ、という感じだった。ソファーに腰かけ、出されたコーヒーをスプーンですくって飲んだ。人事課の明美は、「かなり変。」と、ハンスの第一印象を述べた。「すこし変だけど、学校出たてだとあんなものじゃないか?」と私は言ったが、‘かなり変’という直感は、その後、的中していた事が判明するのであった。しかし…、それは採用されてからの事である。面接の段階で、責任者と次席も「ちょっと変わっている」と思ったようだが、本社段階で採用が決まっているため、支店での面接は顔合わせでしかない。かくして、ハンスの採用が決定した。

初日、たどたどしい挨拶でハンスの社会人1年目が始まった。4年制大学卒業という事だが、いかにも人に慣れていないという感じだった。ハンスは初日から職場に話題を提供し、……し続けた。トイレ掃除の際、液体消臭剤をふりかけ、ブラシで磨く、湯のみを10個洗うために、洗剤を一瓶の半分を使う、運転中、道を間違え“Uターン”を指示したところ、意味がわからず、“Uターンの説明”をし始める…。このように笑える話題もあったが、深刻なミスも多かった。

そんな中、「奴はただ者ではない」と思うきっかけとなる出来事があった。取引先でお茶を出されたのに、高校野球中継に夢中で気づかなかったというのだ。「野球が好きなんだろう。」という評価の中、「いくら好きでも、そんなことがあるだろうか?」という疑問を捨てきれず、私は、そんな特性に関するホームページを探していた。途中、自閉症,広汎性発達障害,高機能自閉症,アスペルガー症候群などの言葉が出てきたが、それらがどういう関係にあるのかまでは、その時は判らなかった。ただ、ハンスが持ついくつかの特徴は、それらの症状の一部に似ていた。

「これに近いと思いませんか?」私は、次席にそれらを印刷したものを見せた。「似ている所もあるようだ。医者に聞いてみる。」次席はハンスを説得し、医師のカウンセリングを受けさせた。「可能性はあるが…、専門外のため断定は出来ない。」というのが医師の答えだった。

仕事上のミスをあまり気にしない様子のハンス。‘ミスの重大さ’とか、‘知識、経験が不足している’などの本人の自覚が弱すぎると私は感じるのだが、‘怒鳴りつけても全く気落ちしない。失敗を恐れない。奴は根性がある。’という見方をする者もおり、高い評価を得て、ハンスは今日も頑張っている。


第三の男 エリック

エリックは2歳半を過ぎても、まだ言葉を話す事が出来ずにいた。会話以外にも、若干の不安な点もあった。目が合わない、耳元で呼んでも聞こえないような様子、猛烈な夜泣き、などである。私と妻は、「会話の何割かは理解できているものの話す事が出来ない。しかし、理解度も上がっており、もうすぐ話が出来るのではないか。会話さえ成立するようになれば、他の事なんて…。」と思っていた。ちょうど、ハンスの件で調べている頃であり、「自閉症の症状と似ている…。でもエリックは違う。」と思った。男の子はしゃべり始めるのが遅いというし、夢中になっていれば、人の声だって気にならないこともあるだろうし、幼児であれば夜泣きは当たり前、などと理屈づけしていた。若干の不安はあったものの、本当にそう思っていた。

しかし、まもなくエリックと我々夫婦は医師から引導を渡された。しばらく妻は泣きつづけ、私は仕事が手につかないという日が続いた。極めて大きい衝撃だったものの、比較的容易に受け入れることが出来たのは、前述の二人の男たちを間近で見た経験があるからだと思っている。また、エリックの障害を聞いた時、ほんのわずかだが気が楽になったことも事実である。「何でこいつはこうなんだろう。」「なぜ、父と子の関係が結べないのだろう。」といったつかえがとれた瞬間だったのだ。それは、私がハンスと出会って半年、エリックが3歳を迎える直前のことだった。

『療育』を始めて数年、その効果はほんの僅かではあるが、確実に現れていると感じている。しかし、アヒルの子が白鳥になるような、自閉症児が健常児になるような、劇的な変化がある訳がない。そうは判っていても、それでも欲は出るものである。どんなに‘変な奴’と思われてもいい。学校へ行き、他の生徒と関わり合ったり、就職し、先輩と後輩としての関係を築いたり、という事が、わずかでもいい、できるようになればいいな、と、最近思うようになった。

自閉症でもいい。他人と関わって欲しい。Taro Ham

昔の某CMの言葉ではないが、自閉症でもたくましく生きていって欲しいと願う。まだまだ道を歩き始めたばかりであり、その道は果てしないのであろうが…。



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