【エッセイ第37回】

マルジさん

「つかの間の夢、タレント、そして今」

マルジは、我が家の愛犬、メスのマルチーズです。昔々、私たち夫婦は、お互いを「○○ジ」と呼んでいたのでこう名付けました。時の流れに身をまかせ〜♪、このように呼び合うこともなくなり、今では、「パパ」、「ママ」としか言いませんが…。マルジとは、11年近くも一緒に暮らしてきて、もう、以心伝心。私の思いはマルジの思いでもある、と思い込んでいるので、ハンドルは、マルジとしました。

さて、結婚して7年、子どものいない人生を歩むのかと思っていた頃、この子を授かりました。すくすくと育ち、かわいくなっていく我が子。大きな瞳、長〜いまつげ…ホントにかわいいと思いました。今、当時の写真を見てみると…あれー?それほどでもなかったかー。

たまたま新聞で、1歳児のタレントも募集しているプロダクションが目にとまりました。

あの安達○実も所属していた?という『ジュ○○コマーシャル○レント』。タレントかあ。やらせてみたいなあ。こんなにかわいいいんだもん、応募してみよう。決めた!パパは、「本気かー」という感じでした。

書類審査に通り、いざ、オーディションへ。一番似合う洋服を着せて、ワクワク、ドキドキ、出かけました。1歳半くらいの時でした。

会場には、たくさんの親子。特に混乱することもなく、写真撮影もバッチリ。彼は、風の刺激が大好きで、「○○ちゃん、いないいないばぁー」と言って、うちわであおぐと、とてもいい表情をするのでした。

ちょっぴり期待しながらも、ダメもとで待っていた結果。なんと、合格!ヤッタ〜。とってもうれしかった。さすがのパパも、この時は大喜びでした。

この後です。保健婦さんから、療育機関に行くよう勧められたのは…。エッ、何かあるの?どういうこと?すごい宣告を受けたようなショックでした。療育機関では、ことばの遅れなどを告げられ、「早く来てくれてよかった。」と言われ、指導を受けることになりました。そして、しばらくは、「刺激の多い場所には行かないように」と言われたのです。

悩みました。迷いました。せっかく実現した夢の第一歩…あきらめられませんでした。発達に遅れはあるものの、いずれ追いつくのだろうし、これだけはと、お忍びで続けることにしたのです。いつお仕事の電話がくるかと毎日心待ちにしておりました。おばか〜!

『パ○パース』のオーディションの頃はよかった。オムツいっちょで走り回り、他の子はお姉さんのまねして踊っているのに、パ○パのぞうさんと戯れていたっけ。もちろん、こんなんで採用されるはずはないけれど、楽しそうでした。ところが、3歳になる頃だったと思います。ワ〜ワ〜泣いて会場に入ろうとしない。何とか入っても、私にしがみついて離れない。

あきらめて、控え室にいた時のことでした。同じくらいの年の子が何人かいました。ワッ、この子、こんなことまで話せるの…。すご〜い。やだ、うちの子より小さいじゃないの。あらっ、この子、ボードにこんなのが書けるの…。あまりの差に愕然とし、ゾッとしました。帰りの新幹線、不安で、ずーっと暗〜い気持ちでした。

それまで、一人っ子で、普通の子とはどんなものなのか、わかりませんでした。療育でのお友達も、やはりことばが少ない。まわりに同年代の子はほとんどいない。スーパーなどで出会う程度では、気づきませんでした。

単なることばの遅れなどではない。いったい、何なんだろう。

療育の先生に尋ねました。「お母さんがそう言ってくるのを待っていました。」と言われ、説明を受け、医師の診断を受けることをすすめられました。そういうことだったのか。いつか追いつくと信じていた遅れが、生まれつきの大変なことなのだと、初めて知った日、涙があふれて止まりませんでした。

診断結果は、広汎性発達障害。そのどこかに位置していて、おそらく自閉症ということでした。この時点では、もう覚悟していたのか、比較的、冷静に受け止めることができたように思います。

タレントへの夢は、ここで終わりました。短い間だったけれど、親子で、いい思い出がいっぱいできました。彼にとっては、大好きな新幹線や、電車や、地下鉄にたくさん乗れたことが何よりだったでしょう。

彼のおかげで、私は、ずいぶん変わりました。今時珍しいほど、お上品路線を行っていた私。スカートオンリーの生活。ジーンズなど全く持っていないという、信じられないような人でした。

初めて療育機関へ相談に行った日、「この次からは、ズボンをはいて動きやすい格好で来てくださいよ。」と言われ、ホントにどうしようかと思ったのですから…。それが今では、ジーンズ、トレーナー、あたりまえ。子どもと一緒に遊ぶうちに、すべり台やブランコが楽しくなりました。登山も好きに…なったかなー?

幼い子どもは、小さくて、どの子もみんなかわいい。どの人にも、こんな時があったんだ。そこから一生懸命生きてきたんだ。そんなふうに思うようになり、人は〜、かわいい、かわいいものですね〜♪という、境地に至りました。

本当にどうにもならないことは、そのまま受け止めるしかありません。しかし、やればどうにかなることを、やらないでしまうのは、絶対にいやです。

息子と同じ障害を抱えた子どもたちが、社会の人たちと、幸せに暮らしていくために、親の会の皆様と共に、できる限りのことをしていきたい。私が、今、抱いている夢です。



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