【エッセイ第38回】

ピカソママさん

「ありのままのピカソで…」

はじめまして。私は、自閉の弟と自閉の子どもを持つ母親です。自閉関わり歴30ン?年です。私のハンドルはピカソママといいますが、これは、独特の感性を持ち、暇さえあれば絵を描いている我が子が、いつかピカソのように世間に認められる画家になれたら・・・という親の願いを込めてつけました。

わが子ピカソの障害に気がついた時からずっと生涯を通じてピカソに伝えなければいけないことは何か、ピカソのきょうだいたちには、どう接すればいいのか、日々考え、悩んできました。ピカソは現在小学3年ですが、自分の子育てを振り返りながら、その時その時の思いについて書いてみたいと思います。

ピカソが高機能自閉症だと診断されたのは、4年前です。「おかしいな?自閉ではないだろうか?」と気がついたのは、7年前です。確か、ピカソが1歳半の時でした。診断されなかった空白の期間は、私たちにとって混沌とした期間でしたが、「できることは何でもやってみよう!育児に無駄なことはないだろうから・・・」と、前向きに考えていたことを覚えています。

いつも一人で考え、今自分にできることを最大限にやっていた時期でもあります。その反面、「これでいいのか?」と、いつもどこかで不安を抱えていました。自分を導いてくれる先輩や先生が、私にはいなかったからです。また、共感してくれる仲間が欲しい、必要だ!と思いましたが、仲間をつくる手段がわかりませんでした。そんな時、広報紙で新潟市自閉症親の会の存在を知り、入会しました。ピカソが4歳の時です。

親の会からいろいろな情報をもらい、また先輩のアドバイスを受け、自閉の勉強の場を与えられ、大変だった幼児期を支えてもらいました。

私は、いつもピカソの考えや気持ちに近づきたい、心の交流をしたい、と考えて過ごしていました。ピカソの心は繊細で、ささいな事でも過敏に反応しているように思いました。周りの状況がわからないから、不安が大きく、日々心のSOSを出しています。そのSOSをしっかり受け止めて、不安を和らげてあげたいという思いが私の行動の根底にありました。幼児期の会話のない生活で、日々ピカソは何を思い、何を考え、何を感じて過ごしているのか?私は全身全霊で、アンテナを張って理解しようとしていました。

自分の世界しか持たないピカソ。自分以外にも、色々な考えを持つ世界が存在すること、外の世界にも、自分を暖かく見守る人がいることを感じて欲しい・・・。その思いだけは、しっかりとピカソに届いていたと思っています。

ピカソは、5歳くらいまで言葉が出なかったので、絵を描かせて心を知ろうとしました。行動と絵から受ける印象とパターンを見て、今、本人は何を感じているのか?どうフォローしたらいいのか?の手がかりにしました。おかげで、本当に絵の大好きな子になりました。

ある日、ピカソが大好きな虫の絵を描いていた時、あることに気付きました。これらの絵が、時間を追って描かれていると。これはおもしろいと判断した私は、絵をパソコンに入れてストーリーを書いてみました。すてきな絵本ができたのです!!私たちが、共同作業で作り上げた作品第一号でした。その時、私はとても大きなことを学びました。

それは、『ありのままのピカソを認めて、共に歩むことが、ピカソの心を豊かに育てることになり、また、経験を共有することでいろいろなことを学び、行動の幅が広がる』ということです。

それからは、二人三脚で、スキーにスケート、キャンプ、魚釣り・・・とたくさんの経験を共にしました。そんな思い出深い幼児期を過ごし、ピカソは小学生になりました。学校は、繊細なピカソにとって、たくさんの刺激があります。その刺激が、ピカソを混乱させ、二次障害を引き起こしてしまうかもしれません。それが一番心配なことでした。幸い、ありのままのピカソを認めてくれる友だちに恵まれたお蔭で、ルールを学び、自分をコントロールするすべを身に付け、周りのみんなとがんばっています。本当に成長したと思います。

しかし、感受性の強いピカソにとって、本当に気を許せるのは、同じ障害を持った仲間です。私は、親の会で知り合った近隣の人たちと、きょうだいたちも交えて会う機会を作りました。ピカソはこの仲良しグループにいる時、とても生き生きしています。自然に、ありのままの自分をさらけ出しているのです。私は、ここがピカソの唯一の心のよりどころだと確信しています。また、このグループ活動を、同胞(きょうだい)たちが手伝ってくれています。兄弟姉妹の仲間を作る事も、私の考えていた一つでしたので、最高のメンバーに出会えた私たちは幸せです。私は、このグループが、生涯を通じて子どもたちの心のよりどころとなるように、見守っていきたいと思っています。

ピカソを通じて、私は、自分を支え、認めてくれる仲間に出会うことができました。これからも、もっと地域や学校・社会に、ありのままのピカソを認めてくれるよう、仲間と共に働きかけたいと思っています。



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