【エッセイ第52回】

ゲラママさん

「ゲラボン君、ハーイ!」

私のハンドルは温泉マン。その正体はゲラパパである。昔から温泉好きで、学生のころから全国の温泉場を駆け巡っていた。それが高じて今では息子ゲラボンと週末になれば日帰り温泉めぐりに繰り出している。おかげでボンは水には抵抗ないようで温泉・プールが大好きになっている。

ゲラボンは現在4歳で幼稚園の年少さん。毎日元気に通っている。先生が出欠をとると、一番元気な声で「ハーイ!」とお返事をしているようである。

思い返せば2年ほど前。私は、ボンが2歳になるまで、彼のことが全く理解できていなかった。というのも『母親は育児、父親は仕事』、といった古めかしい考えを基本的に持っていたために、妻の話を聞いても「成長すれば何とかなるよ」としか思えなかったからだ。特に私はどちらかと言えば『良い子』として育ってきたこともあって、なおさらボンのことを理解できない部分があったと思う。だから2歳にもなって『お返事ハーイ』もできない我が子を不甲斐なく感じ、返事をするまで何回も「お返事は?『ハイ』と言いなさい!」と強制するような父親であった。そのために妻は、ボンに対するストレスだけでなく、私に対するストレスも相当あったのでは?と、今になって感じている。

そんな時、妻から「ボンを一度専門の病院に連れて行きたい」と相談があり、何か釈然としないまま通院を始めた。そして間もなく、我々は新潟に転勤になったのである。

新潟ではすぐに、『はまぐみ小児療育センター』を紹介してもらい、当ホームページでもおなじみのドクトルJOJOに『広汎性発達障害』の診断をもらった。もともとボンは発語はあり、口では「パパ」と言っていたのだがこの頃から、ボンには私が『パパ』だという認識が無いのではないかと感じ始めていた。

「俺は何なんだ?彼の中で家族はママだけか?」ショックを受けた事を覚えている。

仕事は非常に忙しかったが土日は休みであり、「このままではいけない」と私もなるべく時間を作ってボンと関わるように努力していった。半年から1年ほど経ってからだろうか、ようやく『パパ』の認識も出たようなので少し安心したものの、そのころのボンは、まだ『お返事ハーイ』は言わなかったし、無理に言わせようとすると、ひっくり返って癇癪を起こす有様だった。

「理解のない父親の無理強いのせいで、ボンは一生返事ができない子になってしまったのか!?」

幼稚園入園が間近に迫ったある日、ボンの好きな『しまじろう』の教材セットが送られてきて、中には『お返事ハーイができるかな?』という企画が載っていた。そのビデオと本を何回も見ながら何とボンは「ハーイ」と返事をしているではないか!ホッとした。と同時に「理解のない言動が、ボンにとってどれ程、苦痛になってしまうのか」をあらためて感じた瞬間だった。

元来、子どもへの接し方が下手な私であり、今でも“社会のルール”という物差しにボンを当てはめなければならない場合の対処法を、日々勉強中である。(といっても本を読むことが嫌いで、専門書を読むのはいつも妻なのだが…。)そして、ボンのことを理解してもらうためには、周囲に如何に伝え、対処してもらえばいいのかということも…。

厳しい現実ではあるけれど、「周囲の理解が足りない」と嘆いているだけでは、前に進まないのである。

これから就学・就労など難しい問題が山積みである。ボンのために何をすべきか?答えはすぐに出るものもあれば出ないものもある。だけど理想を現実にするために、ひとつひとつ答えを出していきたい。家族みんなの笑顔のために。そして、これから待っている出会いを素敵なものとするために。



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