【エッセイ第58回】

ケロ先生

「ようやくスタートにつきました」

はじめまして。ケロです。1969年生まれ。今は小学校教員(情緒学級担任)をしています。

通常学級を8年経験してから、ようやく知的学級担任を経て、念願の情緒学級担任になることができました。情緒学級担任になるまでに12年かかりました。大学に入る前からなりたかったので、ようやくスタートについたところ、という感じです。

東京の大学に進学したのですが、バイト三昧でした。たぶん、バイトの種類では、20以上はしていました。まだ、バブルがはじける直前だったので、世の中の景気がとてもよい時代でした。フィリピンやスリランカへも、ホームステイしながらボランティアに行ったりして、バタバタと生活していました。そんな中で、自閉の子どもたちとのいくつかの出会いがありました。

●自閉の子どもたちとの出会い

大学1年のある時に、大学の掲示板で『障害のある子のボランティア募集 県央療育センター(神奈川県)にて』を知り、早速参加しました。そこでは、主に自閉症の子へのムーブメント教育がなされていました。プレイルームに見たこともない遊具があり、子ども10名くらいが独特の行動をしながら活動していました。はじめは目が点になりましたが、いつの間にか、毎回汗まみれになって一緒に遊んでいました。大和市に施設があったのですが、お母さん方や職員の方々で集うこの会は、とてもパワフルでした。また、その会を通して紹介された何軒かの御家庭では、家庭教師としてもお世話になりました。その中でも、中1のT君の御家庭の協力で、卒業論文『自閉症児のコミュニケーション障害の一事例』を作成することができました。大変お世話になりました。

その当時は、「どうしたらオウム返しが改善されるんだろう?」「どうして電車についてはあんなに詳しいのに、簡単なゲームが理解できないんだろう?」「どうして手やハンカチを振り続けているんだろう???」「どうして???」の嵐で頭の中がぐるぐるしていました。国立特殊教育研究所(当時)の先生にお願いをして研究所がある久里浜へ何度か通い、指導を受けるたびに「そうなんだぁ?」と、思うことばかりでした。関わった子どもたちから教えてもらうことが多くて、自分のいたらなさに、泣きながら帰ってきたこともありました。(はずかし?)

保育園や学童保育のバイトをしている時、同じ施設の2階では、情緒障害のお子さんへの行動療法で有名な、梅津耕作先生が教室を開いていました。先生から声をかけていただいて、子どもの活動相手として関わることができました。横で梅津先生とお母さんが見ていて「この時はこうするといい」「目標はこのステップで…」なんて指導されていました。

自閉症の子どもの他に、心因性緘黙・不登校の子も来ていました。お家の方と専門家が子どもの生活をトータルで考えている様子は、とても勉強になりました。

大学では、片倉信夫先生が「抱っこ法」の話しをされたのを聴いて、驚いて質問しまくったり、北原キヨ先生の武蔵野東学園へ就職しようと面接に行ったりもしたっけ…。

●最近の思い

自閉症の子への指導については、私が15年前に大学で学んだこととだいぶ違って日々いろんな面で進んでいるようです。自閉症を含む広汎性発達障害の子どもたちにも支援が広がってきています。一教員として、学校で実践できることを丁寧に取り組んで行くことが自分のできることと考えているところです。ここ4年ほど、いくつかの親の会や施設の方と知り合いになって活動する機会をいただいています。お家の方のパワーを励みに、よりよい支援を考えていきたいと思っています。




・ムーブメント教育…楽しみながら体を動かすことで、運動機能、感覚機能を発達させていく方法です。

・抱っこ法…表面に現れた行動の奥にある子どもの隠された気持ちにふれていき、その気持ちを受けとめていくことによって、感情解放を促し、本来の情緒の安定・意欲・成長力等を回復していく援助をしていきます。

・心因性緘黙 (しんいんせい かんもく) …不安、過労、葛藤、抑圧等の感情体験が原因となって言葉を発することができなくなってしまうことを言います。



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