【エッセイ第62回】

鯒さん

古びた赤レンガの廃墟。迷路のような路地。柳が続く大通り。そんな下町のいくつかあるお寺の一つに私の通った幼稚園があった。

思い起こせば…絵といえば信号機ばかり描き、紫色が好きだと講釈を垂れ、一人遊びが好きだったこの頃(今もだが)。一つのマイブームが砂場での遊びだった。

砂場に溝を掘り、蛇口全開でホースの水を流し、さらに水路を掘って延長する。この遊びは周りに受けた。上手に掘れる事が自慢で、皆にウケたのが楽しくて、一番古い思い出になっている。この水路遊びは、小学生になっても、続いていた。

教室の屋根の雫を源流とする流れは、玄関の脇を曲がり、滑り台の横から「川」らしくなり、回転ジムの下で二手に分かれてまた合流して、回転塔の下でダムのように溜まってから、低くなっている花壇側へ「滝」のように落ちて花壇の間を流れて校庭を横断して校門から外へと流れ出る。

雨あがりの日は、よくその「川」で遊んでいた。

高学年の頃、その「川」に葉っぱを流してどの「船」が速いか遊んでいた。そんなある雨上がりの日。いつものように「船」で遊んでいるとクラスメートの声が聞こえた。

『ブーメランフック!』・・・・・。
『コークスクリュー!』・・・・・。

樹木越しでよく見えなかったので近づくと、二人のいじめっ子が『リングにかけろ』のマネをして遊んでいる。相手は3人の障害児学級の子だった。

3人は一生懸命耐えていた。(逃げればいいのに…やられてないで)そう心の中で思いながら側に行くと、こっちを二人が見た。へたに止めれば“真面目ぶって”と、標的にされることを知っていた。「それくらいにしとけば…見つかるよ」たしかそんなことを口にした。鼻で笑って二人が去って行った。

都内の福祉法人に就職して4年が過ぎ、太陽の村にUターンの転職が決まった26才の春。太陽の村の前身となる作業所『太陽の家』へ二週間の事前実習することになった。十字園の敷地の一角にある古びた木造の作業所は小屋のような外見だけでなく、中も傷んでいた。作業所メンバーへの自己紹介のとき一人の利用者に目が釘付けになった。

記憶に埋もれていた雨上がりのその日の情景が目に浮かび心臓が音をたてた。

目の前に笑顔でおだやかなTさんがいた。

Tさんは私のことを覚えてはいなかった。TさんやTさんのお母さんに話しかけられても、どう応えていいのか言葉が見つからなかった。

神はいないと思う私だが、偶然の流れに運命的なものを感じた。

もう、子どもではない。

あの時の自分は何もできなかった。「これからは」と強く思った。それから11年が経つ。

26年前の自分と比べて多少は大人になっただろうか。水辺が好きなのは今も変わらないが校庭ではもう遊べない。

民間福祉の現実は厳しい。でも、微力でも力と知恵を振り絞って、背中を向けないでいたい。そして、歩み続ける事で、いつか、Tさんの目をまっすぐ見られる気がする。

鯒(こち)



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