第7回 ウーピーさん


「I am ウーピー.」

私の名はウーピー。
おば・まりあ聖歌隊に登場する、あのウーピーである。
私は大昔、お嬢様学校に通っていた。
ミッションスクールというヤツである。
讃美歌なんて礼拝で、毎日歌っていた。
清く正しく、乙女に生きていた。

新潟の地へ来て、18年経った。
つまり、乙女に生きていた時間までと、新潟でのそれが、対になったのだ。
だっけ、もう、越後人に仲間入りさせてもらえるろっか。

新潟へ来た頃は、こんなに狭い日本なのに、山を挟んだだけなのに、
気候があまりにも違うことに苦しんだ。

空が違う。
「新潟には空がないといふ・・」智恵子抄気取りである。
洗濯物を外に出したまま外出できないわ、スクーターで走っているのに何で涼しくならないの?夏の風。
止まったとたんにサウナのような湿気が肌にまとわりつく。そして、一日の中に全部ある天気模様。
この土地の小学生は溜めてしまった絵日記にどんな天気を書いてもOKなんだな、と
ひがむ。
もう一つのひがみは、万代橋を歩いている女の人が皆、美人だったこと。
都会に住む女性のような造られたセンスというわけではないけど、顔が皆さん、整っている。
越後美人とか新潟美人とか聞いていたけど、ホントだよ。綺麗な方、多いです。
雪だけは、何年もの間、ワクワクしてしまった。スキー場みた〜い!!なんてね。
後に、除雪しなければ、車が家の前から出られない立場になるまで、いい気なものだった。
けれど、人生変わったのは、そんなことより何より、
我らがAUTISMの母になったことじゃ。

これまでも、決して平坦な人生ではなかったが、イヤー、参ったさぁ。ドドメっていうのかしら。
世の中にこんなことがあっただなんて、びっくらこきましたのなんの。
しかし、早々と、私は息子が持っている「自閉」に魅せられてしまった。
育て甲斐あるものね〜。うん。自閉だってことを嘆いたり悲しむだけで
(さすがのウーピーとて、そんな時がち〜っとだけありましたわよ)
時間を奪われるなんて勿体無い。
とにかく、カワイイのさ。
わが息子は、もう、中学3年になりますからね、ダッコできないからさ、
ダッコできるくらいの会の若いの見るとヨダレでちゃう。
何でこんなにカワイイの?って、抱きたくてウズウズしちゃう。
ヤヨイセブンがタンコブをこしらえた先回のスケートにも、ウーピー参加させてもらいましたが、
唸るほど可愛い。
しかも、おいそれと、ダッコなんてさせてくれないところもキュート。
思うようにならない醍醐味。
ピューティフルですよ。アートですよ。
そんなことを言い放つ私は、皆から変な人だと思われています。

うちには、御歳10歳になるジプリ(メス)という愛犬が居まして、
ジプリは犬だから日本語を喋るわけではないのだけれど、
彼女の伝えたいことがちゃんと飼い主には伝わるから、不思議です。
飼い始めたのは息子が4歳のときでした。
大型犬なので「躾」はしっかりとせねばなのですが、また、これが根気と愛情と手間暇かかるんですよ。
こどもとおんなじですわね。
まだ、その頃、手を離せばトットと先へ先へ行ってしまう息子と、
要躾のジプリを連れての散歩っていうのは、とてもエネルギーのいる仕事?でした。
息子の方に「待て!」と号令をかけていたり、犬には「待っててね」なんて優しい声で話しかけている。
摩訶不思議な光景が繰り広げられていたのでした。

今も本気で考えているのですが、犬でAUTISMだったら、どうなんだろう?

犬って、アイコンタクト大得意でしょう。
愛して愛して、構って構ってのサイン過剰な生き物です。
表情も豊かです。
おねだりもかけひきも、更に、もう10歳ともなれば、着ぐるみを着ていて、
背中にチャックとか付いてない?
と疑うほど、人との生活に溶け込んでしまっています。
この犬という種が生き残るには、
コミュニケーションマインドなくしては滅びてしまう、
社会性命の生き物なんですよね。
しかも、縦社会。

そんなどうでもいいことを考えながら、
息子からダイレクトにもらえないモロモロをジプリにもらっていたような気もします。

犬を連れて散歩に行くと、自然に犬友達ができます。
あー、これって、普通のこどもを持っている場合に
自然にできる仲間なんだなーって、わかります。
お互いの触手が動いて、歩み寄って、
見ず知らずの人でも心軽く、会話してしまう。
相手の苗字は知らずとも、犬の名前で知っている。
これが、人となれば、どこに住んでいるの?になって、
また明日もここで遊ぼうねなんて発展していくのですよね。
(犬同士は臭いを嗅ぎ合ってそんなことはとっくに情報交換済ましてしまうけどね。)

何分、こどもは息子一人なので、
普通の子しか持たないお母さんって、私、ずっと、怖かった。
息子がまだ未満児さんの頃は、近くの公園などへ遊びに行っても、
他に来ている同じくらいのこどもたちやその母親らの輪の中へ入っていけなかった。
勝手にその子の持ってきた遊び道具なども無断で拝借してしまうので、避けるように帰ってきたりしてた。
ところが、ジプリも連れて行くと、犬の好きなお母さんなどは話かけてきてくれて、
少しずつ息子のことも知ってもらえるようになった。
犬なんか『ばい菌』って思うお母さんとはゼッタイ仲良くなれないけど。
多分、同胞が居るってもっと、もっと、コミュニティで楽なのかな〜・・と想像もできた。
同胞も持っているお母さんたちが、同胞を持つがゆえの悩みをのたまったりしてるけど、
ピーチーエーなどで会うと、まったく別の世界の人のように感じたりして、
面食らうこともあって、使い分けているのねって、寂しい思いもしてきましたのよ。

最近になって、何となく、大丈夫になってきました。

心の中にずっとあった澱(おり)のようなものが薄まってきたように感じています。

多分、私の中で息子の障害を、頭だけでなくて、
心から「異文化」と捉えられるように変わってきたからなんだろうな。
人がどんな目で見ても、臆さない心模様でいられるようになりつつあります。

障害って、社会の無理解が作ってしまうものだしね。
まんまでOKなんだってことが、少しずつ理解でき始めているのです。
あってはならないとか、軽減させようとかの目線だけでは、
見えてこない世界なのでしょうね。

世の中のルールを、その都度、そのときのこどもの理解度に合わせて
紐解いてあげることは大事だけど、
そんなことは子育てでは当たり前のこと
それに加えて、自閉症は、減らないものね。
自閉症のまんまで、自閉症様式で、
こっちのルールを学んでもらうしかないのだもの。

セガレは、もうすぐ15歳。
イッパシの青年。
私もしっかり、オバタリアンの域に入っていた。

今日なんて、息子と共に電車でお出かけしてきたんだけど、
私ったら、帰りにトイレ行きたくなって発車まで時間がなかったの。
女性のトイレが一個しかなくて、それには先客が入っていて、
大きいのなのか、
ちっとも出てこなくて・・
間に合わないし、
息子は乗り遅れたら大変と焦っているし・・
これだけは嫌よ、たまらなく嫌よ、と思っていたのに、
エーイ、やっちまえ!!・・・・・・・・
入ってしまいました。隣の男子トイレ。誰もいなかったし。
そそくさ、と出ようとしたら、
駆け込むように入ってくる若い殿方とご対面。

♪そ〜んなこんなの日々を過ごしてやがて、
どっかの皮も厚くなる、オーバーターリアン!
じゃぁ、またね〜。