第11回 ミンフィさん


「 不 思 議 な 障 害」

「ミンフィ」です。名前の由来を説明するとちょっと長いです。8年ほど前ですが、ミッフィーのぬいぐるみを買おうか買うまいか迷いつつ、棚の前で長い時間佇んでいたら、店員の兄さんの視線を感じてしまったので、思わず「違う色の服を着ているのはありますか?」と聞いてしまいました。そうしたらその兄さんは、律儀にも問屋さんに電話をかけまくってくれて、その度に「ミンフィのですね…」と説明していました。
それを聞きながら、世代的に「ミッフィー」じゃなくて「うさこ」と思っていた私は「へぇー、ミンフィって言うんだ」って感心して、そのミッフィーのぬいぐるみを買いました。その後、実はミッフィーだった!ってわかってからも、そのぬいぐるみのことは「ミンフィ」と呼び続けてます。私の分身のような、一見ムッツリしたぬいぐるみです。それでハンドルは、ミンフィ!

ところで私の長男(小学校1年生。特殊クラス在籍)は「知的障害を伴う自閉症」という診断ですが、少し前までは、「広汎性発達障害」という診断名が付けられていました。どちらも自閉性障害ということで本質的には変わりないと思っているのですが、自閉症圏内と診断される人たちの多様性には驚かされるばかりです。科学的に、もっと解明されれば、今より細かい分類の診断名がたくさんたくさん出てくるのではないかと思えるほど、障害の現れ方が人それぞれだなぁと思うのです。

我が息子の場合ですが、彼はいまだに自分から言葉で話しかけてきたりはしません。言葉そのものの使い道に気づいていないようなのです。だからイエス、ノーの意思表示を言葉で求めてもポカンとしています。「おいしい?」と訊いたら「うん。」くらい言ってくれたら嬉しいのに、といつも思います。彼には私の問いかけはどんなふうに響いているんだろう?うまいものを食べているとき、決まって言われるセリフくらいに思っているのかも知れません。でも、自分がその言葉に返事を期待されているのだということは彼にはどうしてもわからないみたいです。そんなとき、これが彼の自閉症の現れ方なんだなぁと実感します。

でも、よく自閉症の特徴として言われるような、人に対する愛着が弱い、というようなことは、赤ん坊の頃のことから振り返ってみても、決してないと思うのです。

3ヶ月のとき、初めて会った父方のおばあちゃん(主人の母)が可愛がりたいあまり、泣き続ける息子を必死に抱き続けたことがあったのですが、おばあちゃんの努力にも関わらず息子は力一杯泣き続け、ついに根負けしたおばあちゃんが私に返してよこしたら、その途端、彼はピタッと黙ってしまいました。「3ヶ月で、もう母がわかるのか!」と感動したものでした。

5ヶ月のころは、まだ一人で座ることもできないのに、ベビーカーで買い物に行くと、私が売り場で立ち止まる度に、私がちゃんといるかを確かめるかのように、首を回して後ろを振り返っていました。その尤もらしい仕草と顔つきを見て、とっても賢い子だと思ったものでした。

母以外に抱かれたくなかったのを、環境の変化を嫌う自閉症の特徴と理解することも出来ますが、やはり強い「愛着」であると私には思えてならないのです。

だから、自閉症の子どもは"親への愛着が薄い"というようなことを見たり聞いたりすると、そうとは言えない例もたくさんあるのでは?ということを、我が子の場合に照らして思うのです。他にも自閉症の特徴と言われているものはたくさんありますが、その中の「これこれがないから自閉症じゃない、とは言えないんだろうなぁ」そう考えるとこの障害の奥の深さを感じてしまいます。

うちの子は、人のしていることには確かに興味を示さないことも多いのですが、人と関わることは大好きな子どもなんだと、私には感じられるのです。

興味、関心の限局性のために、なかなか一緒に楽しめることが少なくて、親としてもどう接していいかわからないことも多いのですが、先日は実に嬉しそうな顔で、私の手を布団の縫い目に持って行ったのです。よく見るとそこにはジグザグ縫いがしてあって、小さく膨らんだ三角形の縫い目がポコポコ並んでいました。それで「三角だねー。」と言ってやったら、もう嬉しくてたまらないみたいに、ケラケラと笑い声を立てていました。よっぽど嬉しかったんだなー。彼が喜びを分かち合ってくれようとしたことが、とても嬉しかった。

きっと今までも、彼の中にはそういう気持ちがあったのでしょうけれど、私が見落として来たことも多かったんだろうなって思います。あまりにも、こちらにとったら些細なことが彼の喜びであったりするもので。

もっともっと彼に寄り添ってやらなきゃなぁ…。と、また思いました。