第23回 ウニ八さん


「私の生きる道」

私のハンドルはウニ(うにはち)。

用意していた可愛いハンドルがあったにもかかわらず、自分が不用意に放ったある一言で、ある人からこんなハンドルをつけられてしまった。

このハンドルの由来を書いていると、エッセイの内容がそれだけで終わってしまいそうなので、ここでは、妙なハンドルをつけられてしまった人がいたと、みなさんに記憶しておいていただければ嬉しいです。

我が家には小学6年生の”自閉ちゃん”がいます。なぜに、””なのかと言うと、双子なのです。

子どもたちは、1号が『アスペルガー症候群』、2号が『高機能自閉症』と診断されています。

2人の診断名の違いはどうして?と聞かれると、専門家ではないので答えに詰まります。あえて言うのなら、1号は口が達者。ああ言いえばこう言い返す。他人の頭の上のハエを気にする前に、自分の頭の上のハエをどうにかすれば?と思われるタイプ。2号は自分の世界が大好きな夢見る夢男くん。人間記憶力マシンタイプ、でしょうか。

2人が誕生してから始まった怒涛のような子育ての最中にも、周りの子どもたちと「何かが違う」と感じていました。でも、双子だから、未熟児だったからなどと、自分自身に言い訳をして、納得させ、見なかったこと、感じなかったことにして過ごしてきました。

3歳児健診の時に、「こども相談センター」を保健婦さんから紹介され、最初の1年間は、月に1回、翌年からは、小グループでの集団体験ということで、週1回で通っていました。センターへ行きながらも、『発達遅滞』という言葉を信じようとしていた私は、今は人より遅れて成長しているだけで何年かたてば自然にみんなに追いつくのだろう、くらいにしか考えていませんでした。

その認識の甘さを思い知らされたのは、数年後のことです。

小学校入学と同時に、主人が転勤となり3年生の1学期までは、県外で過ごしました。そして、2学期からは、再び転勤により新潟での生活が始まりました。ここで、私は、人生のターニングポイントとなる『自閉症』という言葉と出合ったのでした。

この『自閉症』というものを知れば知るほど、わが子と重なり合う。この子たちの育てにくさはここからきているのかと、目からウロコ状態でした。

この時、子どもたちに障害があるとわかったことも衝撃でしたが、それ以上に打ちのめされたのは、早くみんなに追いつけるようにと、「がんばりなさい」「何回言ったらわかるの」「もっと、周りをみなさい」など、日々私がかけてきた言葉が、自閉症の子どもたちにとっては雑音以外の何ものでもなかった、という事実でした。

この時期、私は親として最も切なく苦しかったのですが、それ以上に、混沌とした世界でもがき苦しんでいた子どもたちの真の苦しみに気づき、更に、落ち込みました。沈みました。撃沈です。

しかーし、いつまでも沈んでなんていられない。子どもたちを育てていかなければならないのです。間違えたと悔やむのなら、やり直せばいいのです。過去は過去、それを踏まえて前に進めば道は開けていくのです。よく、育児は育自、子どもに親が育てられているといわれますが、まさにそう思います。鏡のように今の私の姿をそのままに映し出してくれる二人に、今までたくさんのことを教わり、親として鍛えられてきました。

世間の常識って何?人間の価値は何で決まるの?私にとっての幸せの意味。

自閉症の子育ては究極の子育てだと聞いた事がありましたが、本当にそのとおりだと感じています。いつも、耳をダンボに目を皿のようにして、アンテナをたくさん立てて、子どもの心に真正面から向かい合いながらの子育てです。彼らの心に寄り添いながら。

ありのままの彼らを受け入れてくれる世の中にするために、自分に何ができるのかを、これから考えていきたい。一人一人の力は小さなものでも、同じ悩みを分かち合う仲間たちとの歩みの中で、少しずつ道は開けていくと信じて…。