れーこママ奮闘記 〜連載第3回〜


バス通学はまだ、再開していないので、今回は子どもたちが保育園の年長さんだった頃の話をしてみたいと思います。

今でも、私の中に“あの時は、どうしてやることが子どもたちのためになったんだろうか?”と思う出来事がありります。他愛もないこと…と思うかもしれませんが、聞いてください。

我が家の双子は、年少・年中とひしのみ園(障害幼児通園施設)でお世話になり、年長の一年間だけを普通の保育園に通わせました。その保育園で、初めて歩き遠足に行ったときのことです。(私は変装して、こっそり見に行っていました。)

目的地は近くの園芸センターです。そこは、すぐ側にJRの駅があっていつも大好きな電車を見に行っていた場所でもあります。

2人とも、園芸センターからの脱走を試みて駅に行きたがったそうですが、そこは保育園。そんなわがままは許してくれません。大泣きをして、どこか出られる所はないかと走り回ったそうです。

その話を聞いて、そんなに行きたかったのならその日、連れていってやろうかと迷いました。でも、私の中に三人の母が現れるのでした。

A母 そんなに我慢させられて、随分ストレスが溜まっているだろうから、これからでも、駅に連れて行って存分に電車をみせてあげよう。
B母 そんなことしたら、せっかく我慢させたことが無駄になる。我慢したままで終わらせよう。
C母 そんなこと、どっちにしたって、そう変わらないわ…。

現在も、このような問題は、いろいろ形を変えてやってきます。

正しい答なんてないのかも…、と思うこともあります。

この三人の母をみなさんは、どう思いますか?